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開創200年をむかえる知多四国霊場。
その始まりには3人の人物が大きく関わっている。
彼らゆかりの地をめぐっていくうちに、霊場がととのえられていく当時の状況や3人の苦労などがいろいろわかってきた
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三開山めぐりの途中、あるお寺の石段で休憩してた。昼メシ代わりのパンをかじりながら知多半島の地図を見ていると、下の駐車場にハイエースらしき車が到着し、中から10人ほどの人が出てきた。おばあちゃん参拝団だ。石段いっぱいの横2列でじわじわと登ってくる。通路を空けるべきか?と一瞬思ったが、メシの途中でどうにも腰が重い。もっとも邪魔は承知だから目は合わせないようにしつつ、スミにずれ、やりすごそうとした。が、参拝団はけっこう迫力があった。若者なら相当前から気づくであろう障害物にけっこうギリギリまで迫ってきて、寸前でア!と驚き、ようやくノソノソと片側に寄る。いちおうこちらもスイマセンと頭は下げるが、あまりに何人もの人が寸前でア!とこちらを発見するので、邪魔者度がより強調されていくようでたまらない。
一団が去り、場所を空けようかとも思ったが、そんなに連続して参拝者は来ないだろうとあなどったのがいけない。5分とたたずにまた1台のバンがやってきた。そして「どうか早めに気づいてくれ」というこちらの願いもむなしく、またおばあちゃん参拝団が足元をじっくり見ながら一歩一歩、上空にはいっさい視線をよこすことなく迫ってくるのであった(結論…春は盛況。通路は空けるべし!)。
ところで、「開創200年」の「開創」という言葉がどういうことを指すのか今頃気がついた。文化6年(1809年)3月17日、妙楽寺の住職・亮山の夢の中に弘法大師があらわれ、知多にも四国のような札所霊場を開くよう告げたという。これがそもそも知多四国霊場のスタート、つまり開創。一方、夢見から15年後、ようやく88カ寺がそろい知多四国霊場は正式にうごきだしたが、このいわば「開設」よりもやはり、「開創」(=夢見)からの節目を霊場会は重要視しているようだ。
夢見の直後、亮山はまず本場・四国の巡礼から始め、10年間で3度、88カ所めぐりをなしとげた。もちろん一般の信者のように納経印を集めたし、各霊場の砂を持ちかえって知多半島各地の寺に届けたりしたようだ。その後の5年間は地元霊場整備の総仕上げにあてる。意外なのは三開祖がいっしょに活動していたのは88カ寺制定前後のわずか1〜2年だったこと。安兵衛も半蔵も制定直後に順に亡くなっているのは惜しい。霊場づくりに命をかけていたのかも。幕末の僧と行者はすごかったのだ。
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[知多四国霊場会事務局]
住:常滑市奥条5-20 大善院 TEL.0569-35-3430
http://www.chita88.jp/
[妙楽寺]
住:知多市新知下森29 TEL.0562-55-3510
[葦航寺]
住:知多郡美浜町布土平井131 TEL.0569-82-0731
[興昌寺]
住:知多郡阿久比町福住東脇10 TEL.0569-48-0741
[誓海寺]
住:知多郡美浜町古布善切20-63 TEL.0569-82-2219 |
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